ナオと生きた日々

 

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   ナオのプロフィール

昭和63年12月16日生まれ

豆柴(菊姫号)

平成16年3月15日没

享年16歳

我が家に里子として保健所からもらい受けたのが、ナオ推定9歳でした。
老犬というには、ふさわしくないほど、つぶらな瞳と凛とした表情そして、強い意志の持ち主でした。
いつまでも、馴れないよそよそしさでしたが、子供たちが、愛情いっぱいに触れ合い、我が家の一員として子供と共に成長しました。海に山に、キャンプやペンションに出かけました。
 


 


Chapter 1  発病


 

Chapter 2  宣告

 
 

     Chapter 3  治療

 

 

     Chapter 4  蘇生

 

 

     Chapter 5  共存

 

 

 

 

 


Chapter 1  発病




「カチャカチャカチャ」という、足音はナオが我が家フローリングを歩き回る音です。

私が2階で仕事をしていると、「コト、コト、コト」と階段を上り、ここにいたの」という顔をして私の部屋に入ってくるのす。

そうして、傍でひと眠りして、私が下へ降りて行くと、後からついてきます。

若いワンコではないので、喜びを体で表現することはないのですが、一人にされるのがいやらしく、他の家族がいない時は、私の行く所をついて回ります。

「また、すぐ戻るからついてこなくても良いよ」と言っても、後追いするので、ときには煩わしいくらいに思うほどです。

外出する準備をすると、「連れていって」という顔をして、

車に乗り込もうとします。野暮用の時は、ドライブ気分で連れて行くこともできましたが、仕事や時間がかかる用件では、心を鬼にして、留守番をさせなければなりませんでした。

そ んなナオが、我が家に来て4年目を迎えようとしていた矢先の出来事でした。ナオは、当時9才で、保健所から引き取とり、我が家が里親となりました。長年の 飼い主から別れを告げられ、明日は命を落とすという危機にさらされていた時、私たちと出会ったのです。まさに運命的な出会いでした。

もし、あの時、平成9年3月31日、保健所を訪れなかったら、命あるナオとは暮らすことはなかったのです。

ナオは、一人暮しのおばあちゃんと部屋犬として飼われていたということ以外は、秘密事項としてそれ以上の情報は、明かされませんでした。

そして、保健所の担当職員の方が、

「この子は、はじめて犬を飼われる方には、是非お勧めします。事情あって泣く泣く置いて行かれましたが、人になついていて、おとなしいので、誰かに託して欲しいと、血統証も置いて行かれました。どうか、この子を飼ってやってくださいませんか。」

「私たちが引き取らなかったら、どうなるのですか。」

「それは、明日には処分されます。」と、悲しい事実を聞かされてしまい、私たちは後にひけなくなってしまいました。

ナオを我が家に迎えて一番張りきっていたのは、当時小学5年生の長女でした。

彼女は、以前から犬を飼いたがり、その都度、反対されてきました。

そんな彼女の願いが、老犬ナオによって満たされました。彼女は、ナオの身の回りの世話や、散歩、シャンプーなど喜んでやりました。

若い元気な犬と違って、ナオは心に傷をもち、どことなく遠慮がちな様子でしたが、徐々に打ち解け、家族の一員としてその地位を確立して、ペットというより、コンパニオンとして私たちと暮らしていました。

 そして、突然の発病がナオを襲ったのは、ナオが13歳の時でした。

平成13年3月13日朝から食欲が無くなりました。そういえば前の晩は、あまり散歩に行きたがらない様子でした。一日中日の当たる場所で、横になり水すら飲みません。家族が食卓についても、起きあがってこなかったのです。

い つもなら、食卓についていると、横ですわりおねだりをするのですが、その元気すらないのです。口元に餌や、好物のガムを近づけても欲しがりません。つい昨 日まで、後をついて歩いていたのに、どうしたことだろう。とりあえず、明日獣医さんに診てもらうしかないと、一夜を明かしました。

 翌朝、獣医を訪ね、早速症状を話し、診察を受けました。獣医師は、ナオの歯茎や舌が真っ白になっているのを確認し、検査を行いました。血液検査では、極度の貧血が確認され、正常の半分以下の数値で、PCVHBも低下していたのです。

「こ れはただ事ではないですよ。今レントゲンを取りますから、何が原因かを調べます。」と言い、レントゲン撮影を行いました。その結果、考えられる病名は「子宮 蓄膿症」ではないかということでした。通例なら、手術によって取り除くのですが、ナオの場合は、高齢の上、貧血がひどいので、開腹しただけで命が危な いだろうとの判断から、栄養補給と炎症止めの点滴をすることになりました。入院を勧められましたが、ナオはケージの中に入れられたままでは、かえって悪化するよう な気がしたので、通院を希望したのです。そして、毎日ナオの点滴通院が始まりました。朝9時に連れて行って、夕方5時に迎えに行くという生活でした。   

 

  

Chapter 2  宣告

 

 獣医師がナオの病状を説明してくれました。子宮内部が炎症を起こし、化膿し膿がたまってしまっている。このまま放っておけば、子宮が破裂してしまう恐れがあると。雌犬の老犬がかかりやすい病気であることから、早めに除去を勧めていると言う。

  ナオは家に来た時から、すでに9歳という老犬でした。今更、子宮を除去することは考えませんでした。目は白内障の初期状態にかかっており、歩き方もびっこをひくようなお ぼつかない歩き方でした。このまま、病気にさえならず、元気に長生きしてくれることを望んでいましたが、やはり老化現象からは逃れられませんでした。しかし、私 はナオが我が家に来てから、幸運にも飛騨野さんという良きアドバイザーに出会うことができました。

  それは、ナオが我が家に来てまもなくの頃でした。一番困っていたことは、ナオの食事の与え方でした。ナオはドッグフードを食べないのです。おそらく、人間の雑食で育ってきたのでしょう。家族で食事をとっている時、横に座っておこぼれをもらうことは当たり前でした。しかし、自分の皿にもられたフード餌を食べようともしなかったのです。こんなことをしてい てはいけないと思い、私はあるペットショップへ出向き、上田さんという店員さんから、食事の与え方についてアドバイスを受けたのです。しかし、せっかく勧めても らったシニア犬用の無添加フードも一切食べようとしなかったのです。お腹を空かせた後に与えてみるのですが、嫌々ながら、少々つまむ程度で、2、3日のうちに、体が やせ細ってしまいました。思いあまって、ペットショップに連絡して、もう一度上田さんを頼り、アドバイスを受けました。彼女は、当時ペットショップでトリマーと して働き、犬の健康管理へのフードのことも勉強していました。(現在は、動物管理資格の免許を取得して、トリマーとして独立し、ショップ経営をしていらっしゃいます。)彼 女にナオの状況を説明すると、

「ナ オちゃんは、おそらく長年の偏食で、体内の栄養バランスが崩れていると思います。一種の栄養失調状態で、大切な栄養が不足しています。そのような状態で は、絶対に病気になるので、心を鬼にして、一切の嗜好品を与えてはいけません。特に添加物の多い食品を与えつづけると、間違い無く病気になります。残念な がら、うちの店では扱っていませんが、すばらしいフードを扱っている方を紹介しますので、連絡をとってみてください。その方は、フードばかりではなく、健康 管理にたいへん詳しい方なので、親切に教えてくださいますよ。ナオちゃんのこれからのことを思うならば、連絡をとってみてください。」と、最後にこのよう にアドバイスをいただきました。

そ の紹介を受け、私はペットの「健康を考える会」という全国組織があって、その北陸支部長としてワンちゃんのために一生懸命に考え行動している飛騨野さん と知り合うことができました。上田さんからの紹介であること、ナオの様子にいてひととおりお話をして、健康を保つための食事の作り方似ついての指導を受け ました。例えば、たまねぎ以外 の野菜や米などの穀物、そしてたんぱく質を煮て、栄養バランスをえたフードの作り方などを教えていただきました。しかし、そのように試しても、ナオは肉魚 類なら単独で食べますが、他の食餌を受けつけようとしないのです。匂いを嗅ぐだけで、そっぽを向いてしまう始末。そのことを報告し、飛騨野さんが初めて、 ナオを見にやってきて くださいました。それ以来、飛騨野さんからは、ナオの餌をソリッドゴールドオンリーにしていくために、時間をかけて移行させ、その一方で、飼い主の私は、 栄養学や分子栄養学に 基づいた理論を学ぶ機会を得ました。

「世 の中には、ペット用フードやおやつなど、おいしそうな食いつきやすいフードが売られていますが、果たして、ペットの健康を考えて、作られているものがどれ ほど少ないか。ドッグフードは犬が食べても、人間が食べてはいけないということは無いはずです。犬も哺乳類の仲間ですから、人間と同じ体内構造です。栄養 バランスは多少違っても、必要な栄養素は同じですし、毒になるものは人間も同じはずです。」

「最 近、ペットが人間と同じような病気(ガン・心臓病・糖尿病などの生活習慣病といわれている病気)が進んでいることも、人間が食べている食事に近い物(加工 食品など)を与え、人間が食べられない廃棄するような食材を用いてフードにしたようなものを食べさせているからではないかと思われます。そのことを飼い主 さんに少しでもわかってもらい、安全なフードを与えて欲しいと思うのです。」と、謙虚に語られる言葉に、私はすっかり、共感しました。飛騨野さん自 身も、愛犬を病気で失って以来、どうしてこんな悲しいことを経験しなくてはならないのかという思いが、今の「犬の健康を考える会」のネットワークに参画し たきっかけとなったと伺いました。幼犬のうちから、安全な食事を与え、正しい栄養素をバランス良く補給していれば、病気を未然に防いでいけるからこそ、現在の活動を 行っているというのです。私は、ナオは時すでにおそしの老犬ですが、残りの生きる時間を少しでも健やかに長く私たちと共有できることを願っていました。

  しかし、3年後の平成13年3月13日ナオの子宮がとうとう、危険な状態になりました。飛騨野さんに連絡をとると、すぐに来てくださり、初乳パウダーとエキナ セアカプセルを持ってきてくださり、炎症を少しでも押さえられるよう、これが働いてくれますと言った。ナオは、横になったきり、飲まず食わずで、一日8時 間の点滴が唯一の栄養補給源でした。しかし、それだけでは、生命維持のためのエネルギーにすら及ばないので、牛刺しや生レバーを与えましたが、ひと切れ食べる こともあったが、食べないこともあった。また、飛騨野さんからの食事指導で、じゃがいも、緑黄野菜などの煮たものをどろどろのおかゆ状態にして、なめさせ たりした。しかし、それも無理やり口の中に入れないと、自ら食べようとしません。一日に、数回スプーンで口の中に押し入れて栄養の補給を行いましたが、もと もと8キロオーバーの体重がどんどん落ちて行きました。食べないので、ウンチもあまり出ません。以前のように散歩して、外で排出できなくなり、シートをひき つめ、いつでも排尿排便ができるようダンボールでベッドを作り、いつもみんながいる部屋で見守り、夜間は私の部屋で寝かせました。そして、通院から一週間たっ た頃、獣医師は、ナオの依然として食欲が出てきていない様子を観ながら、再びの血液検査を行いました。その結果、肝機能が、1000オーバーというショック死状態の数値を見て、私にこう宣告されました。

「このまま、いつ容態が急変してもおかしくはありません。緊急の連絡先を教えてください。」

  私は、一週間の点滴治療により、良くなるどころか、むしろ悪化してしまったことに、ショックを受け、

「あとは家で看ます。」といって、その日は、時間半 ばでナオを連れ戻ってきました。これ以上獣医学の手を尽くしても、無駄であると、さじをなげられたのでした。獣医師の立場では限界まで手を尽くしたのだから、今 度は、飼い主としての私の努力はこれからだと思い、家へ連れて帰り、そして点滴に代わる栄養補給をしなければと思いました。そして、早速、飛騨野さんに連絡し 詳細を報告。その晩、飛騨野さんは、「だめ元でやってみましょう」と、一抹の希望ある言葉を返してくれた。そして、3月19日獣医師からの最悪の宣告の日 より、飛騨野さんの指導の元、ホリステイック治療を開始することになりました。

 

 


 

Chapter 3 治療

 

  獣医師からナオの命が絶望的であることを宣告されてまったことに、一時はすっかり希望を失ってしまいましたが、飛騨野さんから、「だめ元で、やってみましょ う。」という言葉で、再びかすかな希望を持つことができました。飛騨野さは、その夜早速、ナオに必要なサプリメントを用意してくださいました。栄養学と、分子 栄養学に基づいた、ホリスイック医療の手順としてアガリクス牛の初乳パウダーエキナセアミルクステイルユッカインテンシイブSOD&プロポリスメガペットデイリーレッドラズ、 これらを決められた分量で毎日与えることが、義務づけられました。しかし、ナオにどのように与えるかを工夫しなければなりませんでした。水を自力で飲むことも、ゲ ル状にした餌をもなめようともしない状態で、口を無理やり開けさせて、錠剤やカプセルを入れても、吐き出すのです。スポイドで、液状にしたサプリメン トを注入したところで、決められた分量に達するには、程遠い分量しか与えることができませんでした。そこで、薬局に行き、赤ちゃん用の離乳食を与える蛇腹のスポイドを 見つけ、これを利用して口から投与することにしました。

  まずは、規定のサプリメントをりんごジュースに溶いたドリンクを作り、朝夕夜に分けて、口から注入しました。食欲がある時は、牛刺し一切れでも食べさせました。し かし、悲しいほど食べないので、立つ力も無く弱っているのです。そしてその時、すでにナオの後ろ足は麻痺状態になっていたのです。

貧 血からくる、 無酸素状態で後ろ足にまでに血液が回らなくなったのか、あるいは、毎日の点滴の注射針が、埋め込まれていたせいなのか。前足が像のように膨れ上がり、途中 で注射針の前足を交換してもらいましたが、後には両方の前足とも膨れてしまっていた。食べない故に、余計に貧血を引き起こし、また、麻痺しているで、起き あが れず寝たきりの状態が続きました。それでも、尿意をもよおすと、必死で起きあがろうとするしぐさを見せます。ダンボール箱でベッドを作り、ペット用のシー ツを敷 き、そこでいつでも放尿できるようにしていました。自分で動くことも起きあがることもできないとわかった時、ナオは恥ずかしそうに寝たまま、おしっこをし ました。 「だいじょうぶだよ」となでてやると、安心したようにまた、ぐったりとしたのです。病院通いでは、一日8時間の点滴で栄養補給をしていましたが、その点滴 に見合う栄 養を補給しなければならないし、何よりもショック状態の肝機能を少しでも改善しなければなりませんでした。「良薬口に苦し」のごとく、ナオは苦い薬を好ま なかっ た。口に持っていくだけで、嫌がりました。病人ならぬ病犬であるが故に、こちらの看護がナオには苦痛でしかなく、口から吐き出したりして精一杯抵抗しまし た。この 時ほど、辛いことはありません。心を鬼にしてナオに向き合わなければ、だだっこ以上に大変でした。私もナオの命を救うため必死だったのですが、ナオも必死 で抵抗しまし た。そして、そのたびに、これで良いのだろうかと、飛騨野さんに相談しました。飛騨野さんは、「とにかく、肝機能を回復させるために、与え続けてくださ い。」 と激励してくださいました。また、時折起こる痙攣発作のような反応にも、獣医師は「だんだん、痙攣も出てきます。」と、死ぬ間際の症状で当たり前だと言わ んば かりの返答でした。しかし、飛騨野さんは、夜分でも来てくださり、フェニペットやレスキュー&リリーフなどの発作やパニックに対処するサプリメントを用意 してくださいました。また、痙攣が心臓発作からくるものだと危険なので、深層水ミネラルを随時与えるようにとの応急処置もアドバイスしてくださいました。 そして迎 えた、約一週間後のある日。私が仕事で留守をしていた最中に、子どもから連絡が入った。14歳の娘が泣きながら「今ナオちゃんが暴れて、私の足をかんだ。 痛い。す ぐ帰ってきて。」私は、ナオが元気だった頃から、娘とは仲良しで、じゃれあって遊んでいたが、時には乱暴なことを娘がしたとしても、決して噛んだりするこ とはありませんでした。よっぽど、いやなことをされたのではと、娘を疑ったりしましたが、家に帰ってみて、驚きました。ナオが痛さのあまり狂犬のように牙 をむいて唸っているではありませんか。誰も近づける状態ではなく、椅子の足なども歯型で跡がつくほど噛み付いた跡が残っていました。娘にどのようにして噛 まれたのかを問うと、「ナオちゃん がおしっこをしたがっていたから、お庭に出したら、這うようにしてウンコをした。そしたら急に痛がって唸り出した。部屋に連れてきても、お尻で這うように 動き回って、私の足に近づいて急に噛んできた。」と、言うのです。実際今、ナオは危険な状態である。痛みをこらえきれず、何かに噛みついて苦しみから 逃れようとした本能的な行動なのです。しかし、噛まれた娘の足を放っておくわけにもいかず、苦しむナオにケージをかぶせ、娘を至急、医者へ連れて行いきま した。幸い、傷 は深くなく、心配無いだろうということでした。それよりも、娘の心の傷の方が心配でした。そこで私は「ナオちゃんを憎んではいけないよ。ナオは、今病気 で苦しんでいるから、理解してあげてね。」と、娘は「ショックだけど、ナオが可愛そう」と、言ってくれました。  娘の足の傷跡を縫合してもらうのに医者から帰った後、飛騨野さんに電話で事態を報告しました。排便をすることで痛みがナオを襲うよう傾向をサプリメント ドリンクにビオフェルミンをつけ加えるよう指示がありました。排便の際の力みが体に負担をかけるのを腸内の乳酸菌を増やすことで解決するだろうとの適切なアド バイスでした。また、パニックには、レスキュー&リリーフとフェニペットをケージ越しに与えて様子を観ることにした。1時間ほどで落ち着き、穏やか になりました。ケージをはずし、ビオフェルミンを加えたサプリメントを与え、その夜は眠りにつきました。

 その日以降、予断を許さぬ、一進一退の日々が続きました。食欲の方はあまりはかばかしくなかったのですが、サプリメントだけは厳重に与えつづけました。4月の半ば過ぎ頃から 徐々に、喜んで口にするものだけを与えてました。例えば、小女子やレバーペースト、ターキーやオーストリッチの缶詰なども少しずつ与えていきました。 次第に、体を起きあがらせるようなったものの、右後ろ足が全く動かず、かろうじて、左後ろ足は軸足となって、歩こうとする姿勢をとったりできるように なりました。体が起きあがるようになってからは、シーツの上で尿や便をしなくなり、必ず庭に出して戸外ですることを要求するようになりました。その度に抱いて、庭に座らせまし た。一日3回朝夕夜は戸外に抱いて散歩しました。元気だった頃、自分で好んで歩いた場所まで抱いて連れて行き、座らせるとその周辺で排尿や排便をしました。
そんな 日々が続きました。そして、少しずつ右後ろ足をひきずりながら、歩き始めた。これまで草の臭いを嗅ぐことも、歩き回ることさえ忘れていたのが、以前のよう に犬らしくあたりの臭いを嗅ぎ、うれしそうにやっとやっと、3本足(前足2本と左後ろ足一本)で歩き始めることができました。ナオは、危機を乗り越えた。生命の 危機を一つ乗り越えることができたと、確信しながら、もう少しよくなったら、血液検査を受けてみようと、飛騨野さんと約束しました。私の心の中では、あと一ヵ 月頑張ろうと思いました。

それから約一ヵ月後、6月7日に私はナオを連れて、ナオが死の宣告を受けたその動物病院を訪れ、血液検査を申し出ました。その結果、赤血球588万(以前
216)白血球14200(以前38200HB14.6(以前6.2)そして何よりも、GOT 12(以前 1000 > overGPT 47 (以前 47 )貧血が解消され、白血球の数値もGOTGPTと もに正常値になっているではありませんか!それには、獣医師が驚いたのは申すまでもありません。私は誇らしげに、ホリステイックの治療を受けたことを言いました が、獣医師は興味を示した様子でしたが、自分の医療に取り入れることまでは考えてはくれない様子でした。万が一でも、助かるみこみの医療を獣医師にこそ認めてもらえ たらと、残念な思いがしました。しかし、私にとってはかけがえのないナオの命が現存していることを感謝して誇りにしていこうと思いました。
しかし、その後元気になっていくナオの身の上にまたしても、試練が待ち受けていたのです。

 


 

Chapter 4 蘇生

 


  ナオの右後ろ足は麻痺していて、ぶらぶら状態で引きずりながら三本足で身体を動かします。ナオは、体力が戻り、動き回ることが多くなってくると、不自由な 体で あっても、いつもどおり散歩しようとしました。しかし、右足を地面に引きずるので、次第に足が地面にこする箇所が擦り減り血が滲み出して まうのです。麻痺した足も、そして、かろうじて軸足になっている左足も、すでに爪が取れてしまっていて、後ろ足で力強く蹴る機能を果たさなくなりました。後ろ両足と も力なく、四足動物特有である後ろ足で、首から体を掻く行為ができませんでした。そこで、私が顔や首筋を手で掻いてやると、気持ちよさそうに「もっとして」といって、すり よって くるのです。その姿がいっそう、いじらしく感じました。なんとか、自分の足で掻けるようになり、そして散歩もできたらいいなという希望がわいてきました。それというのも、ナオの様態は日に日に生命の危機を 脱して、徐々に回復の方に向かっているかのように見えたからです。それだけでもつかの間の喜びでした。しかし、いつ急変するか分からない不安はいつもあったことも事実です。それ故、飛騨野さんからのアドバ イスどおりのサプリメントを毎日厳重に与えました。そのころは、子宮の炎症がひと段落したであろうと見込み、エキナセア・ミルクステイルから、壊死した足に 血流 を改善するために新たに、グレープシードとガンマーリノレン酸へと主力サプリメントを変えていきました。

  散歩は、抱いて近所の草むらまで連れて行きました。アスファルトで足がすれてしまうからです。しかし、抱いて散歩していると、緑がある場所が以前に比べ て、どんどん減少していると感じられました。回りの道路は、全部舗装されていて、田んぼや空き地などを探して、連れて行くのですが、今までナオが好き だった散歩コースは、抱いていくには遠すぎました。一緒に歩いてそこまでたどり着いていた場所は舗装路を5分 ほど歩き、用水路を越えて、その先にあった。自転車で行くにも段差があり、遠回りしなければならない。しかし、その場所も、久々に行ってみると、空き地に アパートが建設中でした。田んぼが宅地造成されていて、新しい家が建ち始めていました。ナオが好きだった、あぜ道や、草が茂っていた場所が段々狭め られていたのです。

  私の日課は、朝と夕そして夜に抱いて、近所を歩き回りました。まるで、赤ん坊を抱いて、子守唄でも歌い散歩しているかのような、なつかしい気分でした。

ナオは、好むと好まざるにかかわらず、限られた場所でしか降ろしてもらえ ず、多少不満そうでした。以前のように自分で好きな散歩コースを選びた かったことでしょう。しかし、不自由な体では、おぼつかないことでした。

私はよく、初夏の日差しを浴びながら、こんなことを願いました。

「世界中の精霊たちよ。世 界中の命の活力を少しずつでもいいから、ナオに与えてください」と。通り過ぎる散歩中の元気なワンコに、「少しでもナオに元気を恵んでね。」と心の中でお 願いしたりしました。

 ナオは、自分ひとりで散歩できないことよくわかっていると、私は、思っていました。だから、散歩する時間になっても、私が準備できていなくて、家事をしている最中に、突然姿を消してしまった時は、家中で大慌てしてしまいました。ほんの5分 ほど目を離した隙に、ナオは一人で、アスファルトを歩き、用水路を越え、そして大好きなあぜ道に座っていたのです。やっと、念願が果たせたという満足な顔をして、休憩 していました。そして、右足が血まみれになっていました。毛が抜け落ち、肉がむき出しになっていたので、血が出てい る箇所を消毒し、包帯を巻いて処置しました。しかし、なめて包帯を取ってしまうのです。本能的に傷をなめて治そうとする習性があるのです。犬にはそのほうが良いかな と思い、包帯をしないまま放置しておきました。すると、数時間には、なめ回して、前以上に傷が大きくなってきていたのです。そしてしまいには、肉球までなくなって いたのです。普通ならば、痛みがあるはずですが、ナオは痛みさえ感じなくなっていたののでしょう。壊死した足先は血の臭いで、それを除去するために必死でなめる、終いには 自分の足先を異物と感じ、食べてしまったのです。益々悪化した足の状態には絶句してしまいました。何とかなめないようにするためには、包 帯だけの処置ではを離した隙に剥がしてしまうので、飛騨野さんとの相談の結果、獣医さんでエリザベスカラーを購入しました。

こ うして、今度は、ナオが元気になった結果起こった、予期せぬ事態との闘いが始まったのです。その後傷は、順調には回復しませんでした。というのは、梅雨時 から夏にかけて湿気と暑さで、傷は化膿しやすい時期でした。プロポリスの原液をつけて消毒しながらも、ナオはナオで治そうとする本能があるため、必死で傷 をなめようとします。その度に、傷が悪化してしまい、抵抗勢力との葛藤が続きました。約5ヶ月間、ナオの足の傷との闘いが繰り返されました。そして、10月にはいって、ようやく、気候が涼しくなり始めたころから、傷の渇きが落ち着ちつき、ナオも暑さからくる、むずむず感がなくなり始めたらしく、自分で包帯をはがしてなめるという裏切り行為をしなくなりました。暑い間の熱い闘いでした。

 そして、10月に入ってからは、主力サプリメントは、「アンチ・エイギング・サポート」を使い始め、目下、病の原因である体の「老化」防止に努めています。これでそれを使い始めて約2ヶ 月が経過しているが、ナオの体は毛並みがつやつやに以前以上に回復し、毛が柔らかくなっています。食欲も、サプリメントを入れた特別食(トマトジュース・か ぼちゃ・牛肉赤身・牛レバーを煮込み、ビオフェルミン・レッドラズ・ビール酵母・アンチ・エイギング・サポートを加えて、約10日から2週間分冷凍保存している)と、アズミラのビーフを旺盛に食べている。体も丸々となり、足の不自由さを除けば健康そのものにさえ見える昨今です。

 

 
 

 

Chapter 5  共存

 

3月の発病以来、丸9ヶ 月が経過しようとしている現在、ずいぶん長い月日をナオの闘病で過ごしたような気がします。その間、私は付きっきりというわけではなく、重大な危機を脱し 後は、家族全員の協力でナオのサポートが成り立っています。ナオも、かつての苦しみが、どうであったかを知ることもないような顔つきで、元気に家の中を 駆け回っています。ただ、散歩はいまだに抱いていかなければならないことと、階段の上り降りはできませが、家族が協力して仕事分担としています。

  とにかく、生あるものとして、その生を最後まで諦めず、いたわりあっていくことの大切さを実感できました。飛騨野さんとの出会いがなければ、簡単に諦めていた であろうことを思うと、ナオにとっても、私たち家族にとっても、この経験は大変貴重で感謝してもしきれない限りです。この経験を私は、これからの人生に いかしていきたいと思います。

  それは、限りある命だからこそ、大切に、精一杯生かすために生きるということ。だめだと思ったら、本当にだめになってしまうのがこの世の法則であると感じ られました。ナオは人間と違い、自分は死ぬかもしれないとか、もうだめだと、悲壮感になり諦めることはありませんでした。ただ、苦しいときや、生命の危機状態にあるときは、ぐった りとして食欲もなければ、動くこともできませんでした。しかし、状態が良くなると、体そのものが元気になり、食べるようになり、歩き回るようにもなりました。 ただそれだけのことです。

私たち人間は知能ある動物として、自分の生をコントロールしようと無理をしてしまいます。また、自分に嘘をついてしまうことがあるように思います。生命 ある限り、生き続けようとする本能に忠実に、そして素直に生きていけたら、もっと楽に生き死にできるのに思いました。

ナオの生命の選択権は、獣医さんでもなければ、飼い主にあるわけでもない。ナオ 自身が生きてくれたからこそ、希望に満ちたホリステイックの効果が実証されたのだと、私は、自分の生き方の中で、ナオの生きた証を忘れずにいたいと思いました。例え、自 分が病にあって医学によって宣告を受けることになったとしても、気楽に生きていく中で希望が見出せるかもしれないことを確信しました。2002年春がくるまで、ナオが元気でいてくれることを、そしてできるだけサポートしていけるよう共生していくことを楽しんでいる中で、この手記を終えます。


2001年1216日 ナオ13歳の誕生日に

 

 

 

 

後述記

 

 2001年の発病以来、4年間ナオは、生き抜きました。自分の足で歩いて、地面でおしっこをするということを頑固に貫きました。途中、私が抱いて地面において糞尿をさせる日々が続くも、そのうちに、無くなった足先も固まり、ガムテープを巻いて固めた義足をはかせ、散歩もできるようになりました。その生命力は、岩をも貫く強さがありました。生 きるということのひたむきさは、人間も動物も、同様に本能的に持っているのです。そして、最後の半年の間は、老人性の徘徊のような症状が出ていた。夜中に急に暴れ だし、泣き叫びながら、椅子や壁にぶつかっては倒れるようになりました。見るに見かねて、紙おむつをしてバスタオルで身体を包み、私のベッドで抱いて寝ることもしばしば。安心して眠りに ついたと思いきや、すぐにまた、目を覚まし、何かに怯えたかのような声を出し、暴れ始める。そのたびに、身体をなでて、子守唄を歌うように寝かせていたこともありました。そんな日々が続くと、私も憔悴してきたので、最後は、夜中の徘徊をさせたままにして、安全な場所で寝かせました。そうしないと、私の方が参ってしまうからでした。しかし、徘徊する体力もだんだんなくなり始め、2005315日、ナオは永眠しました。享年16歳と3カ月。人間の年齢では、80歳という大往生でした。(ちょうど、その年は、私の父も満80歳を迎えました。その父は現在も健在で、今年2011年現在で、満87歳を迎えようとしています。)

 

20114月吉日



naositting
麻痺した足を引きずってお気に入りの場所でくつろぐナオ